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かいご畑hdbn

2人同時介護の過酷さは予想を遥かに超えていた!

父と母の2人同時介護の過酷さは予想を遥かに超えていた

2人同時介護の過酷さは予想を遥かに超えていた!

HN:ダブルです
年齢:40代

 

両親とは別に暮らしていたのですが母親がよく転ぶようになり何度も病院へ行くようなことが起こり母がいないと何もできない父親に頭を下げられて同居することになりました。

 

同居を始めてから半年、母が71歳の時に家で転倒し右手首を複雑骨折して県病院へ入院。その中で母の様子が普通でないことに気が付いた医師が検査を行い他の病気であることが判明しました。筋萎縮性側索硬化症いわゆるALSと呼ばれる病気でした。

母のALSに続き父親にもガンが発覚

筋肉がどんどんと無くなっていきあらゆることが自分でできなくなるという病気。現在では治療方法はありません。

 

母の退院から半年後、今度は父親の首に大きなコブができ検査の結果、ガンの転移であることがわかり原発を探す検査が始まりました。何度も検査を繰り返しましたがなかなか見つかりませんでしたが3ヶ月後に肺がんとの診断がくだりました。

 

父はその時67歳。同時期に母親が自身で歩く事が困難になり始め介護が必要な状態になってきました。その時はまだ私は大手メーカーの営業として働いており、動きが制限されていた為に役所に問い合わせてケアマネージャーまでたどり着きました。

 

そこでヘルパーさんに来て頂くことになったのですが介護保険の点数内でないと追加でお金が必要になること、私が同居しているためにヘルパーさんには掃除などはお願いできないことなどこちらが予想していた以上に思い通りにならないことが出て来ました。

 

母の介護ベッドやトイレまでの導線に手すりポールを設置したりする必要が出てくると両親ができないことと反比例するように点数は減っていきました。父親も抗がん剤投与が始まり体が思うように動かなくなってきた為、母親に強くあたるようになり家の雰囲気が非常に悪くなっていきました。

 

母の介護で睡眠が取れず仕事にも影響、退職することに

結局、ホームヘルパーさんは夕食を作りに来てもらうのみなので、母は出来る限りデイケアなどで気分転換と父親との接触時間を減らすなどの対処が必要となりました。母の病状も進みとうとう1人でトイレまでたどり着けなく付き添うようになりある時から夜中に何度も行くようになってしまい私の睡眠がきちんととれなくなる状態に。

 

営業で車を運転していても突然の睡魔に襲われる、両親のことを考えて仕事に集中できないなど支障が出てきてしまい父が長期入院をすることになり昼間に母をみないといけなくなった為、上司と話し合った結果、退職することになりました。

 

そこからはまさに24時間体制での介護生活が始まりました。母がデイサービスへ出かけている4時間だけが自由な時間。後は何をしていても母を気にかけておく緊張した日々で社会との繋がりもどんどんと減って行きました。3ヶ月の入院から父が帰ってくるとさらに自由な時間がなくなりもはや自分のための時間は両親が寝ている時だけに。

 

父の治療費と介護費用で貯金もなくなり

高額医療制度で後で返ってくるものの父の治療費・薬代の出費は増える一方で、わたしの貯金などは生活費と治療費、介護にかかる費用で1年ほどでなくなってしまいました。両親の年金だけでは家賃とその他経費ぐらいしかありませんでしたので、なんとか家でできる仕事を見つけては行い凌いでいました。

 

1人だけでも大変なことが2人同時に起こってしまい本当に大変な日々を送りました。いざとなれば老人ホームや病院へ入ってもらえばいいと考えましたがとにかく空きがない。空きがあるところは月々の払いが高額とこちらの思うようにはいきません。

 

高額医療、その他制度についてもこちらから問い合わせなければ役所も動いてくれません。どんなにはやく必要でも申請してからだいたい2ヶ月は待たされるなどこのスピード社会で想像さえしていませんでした。

 

テレビや雑誌でちょっと見ていたぐらいの知識では足らな過ぎることを痛感しました。いつ終わるかわからない介護に精神的にも追いつめられますがすぐに金銭的にも追い込まれていきます。もっときちんと考えておくだけでももっと楽だったろうにと思わずにいられません。

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